今日はこどもの日に、我が家で起こったトラブルと、そこから得た3つの学びについてお話ししたいと思います。
ことの顛末
昨日のこどもの日、引っ越し時からちょいちょい苦情を入れてくる隣家からまた苦情がはいりました。
詳細は差し控えますが、これまで相手方の神経質ともいえる苦情には、はいはいと答えて、それなりに対処してきたのですが、昨日は
「なんでいつも子供の前で、しかもこどもの日に子供が悲しむようなことを言うんや!」
と私のスイッチが久しぶりに入り(笑)、完全に戦闘モード。
夫も仲裁にはいりつつ火に油を注ぎ💦、話は平行線のまま、お互いにある取り決めをおこないました。
その取り決めは、お互い売り言葉に買い言葉中のことなので、なんの効力もありませんが、
我が家が自分たちに課した取り決めよりも、
相手が自分に課した取り決めのほうがハードルが高い
んです。
我が家はなんなら何もしなくても、じゅうぶんできること。
相手は毎日の生活で労力を費やすこと。
後から考えて、自分の首をしめにきたんかおっちゃん?と思いました。
どんな学びがあった?一つめの学び
ちなみに今回のこの件で得た3つの学びについて、まず1つめ。
今回の件は、そもそも私が学ばなければいけない出来事だったらしく、どんな学びか宇宙に問い合わせたところ、
「相容れない人との共存」
を学べ、とのことらしいです。
たしかにこれから、周りと共存していかないといけない世の中だけどさ~
いやだ(笑)
いやだわ~~~~
わたしにだって人の好みはあるんやで~~~~(笑)
とは思うものの、学びを無視しても、
また同じような出来事が起こるだけなのですよね^^;
しゃーない、それまでプンプンしていましたが、
「相容れない人との共存って、どないしていこっかな」
という思考転換をし、第三者をいれて明確な取り決めを行うためにまずは情報収集をしました。
これがベストな選択かわかりませんが、思考の転換をしないままだと、単純に
「あいつむかつく!」
で終わってしまうので、学びに気づいたら即行動です!
2つめの学び
先ほど書いたように、我が家より相手のほうが自分に課した取り決めが重いわけですが、
相手に何かを要求する、ということは
自分にもそれなりの痛みが伴う、ということ。
交通事故と同じで、相手が10悪いということは、あまりありません。
たとえ10:0のケースだったとしても自分にも何らかの痛みが伴うことは覚悟しないといけません。
相手に要求するからには、自分もちゃんとしないといけないわけですね。
「自分の中の正しさ」を正当化して、相手を封じ込めようとする人は、自分も痛みを引き受けなければならない、ということ。
今回我が家は、相手にとって加害者(←加害の度合いですが、子供が道路に打ち水したら怒られるレベル)という立場なので、あまり大きな声では言えませんが、この件は学びのシェアと割り切って書いています。
「正しさの主張」では誰も幸せにはなれません。
↑もちろん売り言葉に買い言葉をやってしまった時点で、わたしも相手と同じだという戒めもあります!
相手に伝えるのは自分の気持ちだけで、相手がどう行動するかは相手の判断にゆだねるしかないのです。
3つめの学び
一応わたしにも人の好みというものはあって、
威圧感で人を押さえつけ、
理責めにするオッサン
は好きではありません。言葉の悪さ・・・そしてオッサン限定
で、今回相手はまさにそういう人だったわけですが、ふと思ったんです。
わたし、
子どもに同じことやってないか・・・?
嫌いな相手は自分の鏡である、とはよく言ったもので、最近のわたしは、子供に対して
・理屈で納得させる
・威圧的な態度
ということをやってしまっていたなと気づきました。
まさに自分が
威圧感で人を押さえつけ、
理責めにするオバサン
だったわけです( ;∀;)トホホ~やなやつ~~~
個人的にはこの3つめの学びが、私にとってはダメージがでかかったですね。。
学びは痛いぜ、うぐっ!!😢
最後に
今回、我が家でおこったご近所トラブルと、私の学びについて、感情も交えてかなり赤裸々につづったのですが、
イライラしたり、モヤモヤしたりした時は
「これはなんの学びか?」
ということを考えると、感情にとらわれてグルグルすることから抜け出せます。
実際わたしがプンスカしてから、学びに気づくまでの時間は1時間足らず。
実際に情報収集をしたのは、トラブルが起こってから1時間後。
そしてその出来事から3時間後には、こうして学びをまとめてブログに書くところまでたどりつきました。
いま相手に対しては何の感情もありません。
かなり早い段階で悩みや問題から抜け出せるのは、こうした
「悩みや問題に対してどう向き合うか?」
を知っていることが大きいと感じます。
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